どうして生きづらいのか、原因を分析してみた 【幼少期〜小学校時代編】

生きづらさ

こんにちは!ちゃんです☺️

私は物心ついた時からとても生きづらいな〜と、日々感じています。

そもそもどうして生きづらくなったのか。

その原因がわかるかもしれないと思い、今回は私の幼少期から小学校時代の経歴をお伝えしていきたいと思います。

学校での様子

私の父は、銀行員でした。

銀行員には付き物の転勤。大体3〜4年に一度くらいの頻度で県内外問わず転勤がありました。

幼稚園時代から小学校時代に、3回引っ越しをしました。

引っ越しが多いことが影響したのか、小学校に入学してからは学校で一言も話せなくなりました

話せないことを周りにからかわれたりもしました。

でも、気持ちの問題で出そうとしても声が出せませんでした。

話ができないので、友達もなかなかできません

この頃、私の学校での唯一の楽しみは『読書』でした。ただ、休み時間に教室で本を読もうとすると、先生に「こんなところにいないで、外に行って遊んできなさい」と言われてしまいます。

みんなは、体育館でドッボールやゴム跳びをして遊んでいます。

私は、どうしても気分が乗らずに、そのまま図書室へ……。という日々でした。

あまりに話をしないため親も心配していましたが、担任の先生からは成績が良かったことと、家では逆にめちゃくちゃ喋るということを伝えていたので「バランスとれているなら心配ない」と言われたようです。

内心は学校でも話をしたいと思い始めていたものの、きっかけがなくてそのまま過ごしていた小3のある時!

父に次なる転勤の辞令が!!

これは変われるチャンス!と思い、転校した先の学校では頑張って話せるようになったのでした。

この後、また中学校からは転校前の場所に戻ることになり、以前の私を知っていた子たちからは、普通に話すようになっていることをびっくりされたのでした。

このように、私は元々の内向的な性格の部分に、転校による環境が変わりやすい部分も加わって、学校で友達いっぱいで楽しんでいるという子どもではなく、どちらかといえば家が大好きでマイペースに読書をしたり、勉強をしたりすることを好む子どもでした。

こんな私ですが、学校は行くものだと思っていたのと身体は丈夫だったので、毎日休まずに学校に通っていました。

ただ、どこか「休んだら二度と行けなくなるのでは?」というよくわからない不安を抱えていたため、逆に休まないように頑張っていた部分もありました。

家での様子

家では、4人兄弟の長女として育ちました。

子どもも転勤も多く、母は専業主婦でしたが、子育てに家事に大変でした。

父は仕事で毎日遅くまで帰って来ず、私は長女として当てにされていた部分もあり、母が夕飯作りで忙しい時間帯には下の子の面倒をよくみていました。

まだ赤ちゃんだった妹をお風呂に入れるのも、母が妹を洗い終わると私が受け取って、着替えをさせるなどの手伝いもしていました。

母はいつも余裕がなくイライラしていて、私が自分の話を聞いて欲しくて話しかけても、タイミングが悪かったのかよく怒られていました

私に比べて妹たちは全然怒られないので、ずっと私は嫌われているんだと思っていました

母に褒めてもらいたくて、私の数少ない好きなことの一つである「勉強」を頑張り、テストで良い点数を取って母に見せると「〇〇(私の名前)がいい点数取れるんなら、みんなも取れるんだろう」と言われてよくショックを受けていました。

今思えば、母はシャイな性格でなので素直に褒めたりできないところがあったのかな〜と思いますが、当時は私も子どもだったので、そうは思えず結構凹んでいました。

あとは、当時住んでいた借家がちょっと古くて、入っては行けない部屋があったりして、怖くてよく眠れなかったのですが親には言えず、毎日睡眠不足という悩みも抱えていました。

私の幼少期から小学校時代については、こんな感じです。

この頃は、まだ生きづらいな〜とは自覚していませんが、学校では「みんなとなんか違うな」と思ったり、家では「親から嫌われているのかな」と思ったりしていました。

まとめ

幼少期から小学校時代にかけての経歴の中で、生きづらさの原因になっていると思われること

  • 転勤があり、環境が変わりやすかった
  • 頑張っても親から認めてもらえなかった
  • 内向的な性格で、学校で友達関係をうまく築くことが難しかった

ということが考えられます。

次回は、中学校時代について書こうと思っていますので、よろしくお願いします。

参考になれば嬉しいです😊

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